私のおばあちゃんが献体(白菊会)へ行った時のお話をしましょう!

スポンサーリンク
私の撮影した白菊です 献体の体験/感想

私のおばあちゃんが献体へ行った時のお話をしましょう!

 

 

これからご家族が献体へ行く方がいらっしゃるかもしれません。

私はおばあちゃんを献体へ送り出しました。

その時の経験を書かせて頂きます。

ご参考程度にどうぞ。

 

そして、私は今ごろ重要なことを知ったのですが、献体の受け入れは死後48時間以内なんだそうです。

 

 

献体って何?白菊会とは?

献体とは?

献体(けんたい)とは、医学および歯学の発展のため、また、力量の高い医師・歯科医師を社会へ送りだすために、死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、遺族が故人の意思に沿って大学病院の解剖学教室などに提供することである。

Wikipediaより引用

つまり、自分が亡くなった後、医学に携わる人の為、今後の医学の為に自分の亡骸を捧げることです。

 

 

白菊会とは?

白菊会(しらぎくかい)とは、医学および歯学の発展のため、死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、遺族が故人の意思に沿って医学部・歯学部の解剖学教室などに提供する「篤志献体」の組織である。

なお、白菊会は各大学の医・歯学部、また自治体に支部組織を持っており、献体登録者の総数は約20万人である(平成16年3月31日現在)。

歴史

  • 1951年 倉屋利助が東京大学の解剖学教室をたずね、死後自分の遺体を医学の発展のために医学生に献ずると願った。
  • 1955年 倉屋利助逝去。翌日、遺体は大学に運ばれ、利助の願いは聞き入れられた。
  • 1955年 倉屋利助の息子、倉屋利一とその友人、東大解剖学教室の教授らの手によって献体の会が発足した。会の名は清純を連想させる「白菊会」と命名した。

wikipediaより引用

白菊会にお世話になりながら、私は今日初めてこの文章を読みました。

倉屋利助さんという方は全然知りもせず、今まで過ごしていました。

 

私の祖母は生前20年ぐらいはこの白菊会に在籍していました。

今では献体をしたい人(お葬式代がかからないから)という人もいらっしゃるというのもおばあちゃんから聞いていました。

定員いっぱいで今はなかなか入れないとも聞きましたね。

おばあちゃんとで白菊会と繋がっていたので、おばあちゃんがいない現状で詳しいことはよく知りません。

 

大学病院が母体となってしている組織だと私は認識をしていました。

どこでこの情報を仕入れてきて、入ろうと決めたのか、詳しくは分かりません。

 

しずかちゃん、私が亡くなったら白菊会に連絡してね!

 

というのだけは聞いていました。

 

分かった、分かった!任せといて!

 

 

祖母が病院で亡くなってから献体(白菊会)へ行くまでのお話

亡くなった直前、献体へ行く前のこと

おばあちゃんは病院で亡くなりました。

 

私はその時、携帯を持っていなくて、いつものように病院へ行きました。

その時はヒマワリの花をもって病院へ行っていました。

 

おばあちゃんの入院している階におりました。

綺麗で広いエレベーターホールにベッドが置かれていました。

いつもこんなものは置いていなかったのにその日はありました。

 

そして病室に入ると、2人部屋なのに手前の人がいません。

ガランとしています。

 

奥に入ると私の兄が椅子に座っていました。

兄の姿を確認するとすぐ

 

死んだの?

 

と端的に聞きました。

おばあちゃんは目の前にいます。

 

普段の私なら「亡くなったの?」と聞くのに、その時は「死んだの?」と聞いたんです。

今でもこの自分の言った言葉が不思議だな~と感じています。

 

連絡を受け取っていない私は何で亡くなったのか、いつ亡くなったのかをしりませんでした。

ただ、私は生前おばあちゃんから、

「亡くなった後、病室っていうのは数時間しか使えないからね。すぐに移動しないといけないよ。おばあちゃんが亡くなったらちゃんとしておいてね。」

「おばあちゃんが亡くなったら白菊会にすぐに連絡してね。お葬式は要らないよ」

と私に何度も伝えていました。

 

私は兄が静かに頷くのを見るや否や、すぐにナースステーションに行きました。

そして、そこにいた看護師さんに

 

私の祖母は白菊会に入っているんですけど

 

と伝えました。

すると受付の看護師さんはぽかんとして、

 

白菊会って何ですか?

 

と逆に聞かれました。

 

亡くなったら大学病院に献体を申し出ている旨を伝えました。

 

とにかく、それを聞いた看護師さんは私のおばあちゃんの主治医と連絡を取ってくれました。

先生がすぐに駆け付けてきてくれました。

 

この先生は私の祖母が30年来お世話になっている先生です。

この先生が工学部を止め、医学部に編入し駆け出しのお医者さんだった時から知っているんです。

それほど大学病院が長かった先生です。

忙しいのに急いで駆けつけてもらって申し訳なかったですけど。

 

その先生は長い付き合いにもかかわらず、私のおばあちゃんが献体に入っているのは知らないようでした。

私のおばあちゃんは口が堅いんです。

 

さて、その時は私の母も駆けつけてきて病室にいました。

おばあちゃんは母方の祖母にあたります。

 

「この度は…」

 

と、先生が言葉を発しました。

私は

 

ちょうどいい時に逝ってくれたと思います。
寝たきりも辛いですから、時宜に叶っていたと私は思っています。
本当にちょうど良い時に逝ってくれました。

(全身転移したガンの痛みもそろそろ出るところでした)

 

と、私は答えました。

 

「本当に、献体するんですか?」

 

と先生が尋ねてきました。

 

やはりいざとなると、ご家族が献体を断ったりすることもあるのだとおもいます。

献体後、私の知り合いの医療関係者の方(おばあちゃんのことも知っている方)に「自分の家族を献体に出すのは…ちょっと私は難しいわ…」と言っていました。

だから、そういうのもあるから先生は念を押して尋ねてこられました。

 

私の母は黙っていたので、

 

はい、よろしくお願いします

 

と私が即答しました。

そういうと、私の母も続けてそうしてくださいと言いました。

 

では、そのように手配をします。

お見送りをするときは担当の先生と看護師さんにも並んでもらってお見送りします。

 

と言って、早々に先生は去って行かれました。

 

今考えても、いろいろと良いことが重なって私のおばあちゃんが思っている通りに動いたのだと思います。

本当にスムーズに物事が運びました。

私のおばあちゃんは私が病院へ到着する1時間前に亡くなったようです。

 

私の母は役所へ死亡届、火葬許可書の手続きなどをしに行きました。

 

私はおばあちゃんと看護師さんとで病室でいました。

亡くなった後は体を拭きます。

 

その時にその看護師さんが

 

あっ、しまった!ペースメーカーのことを先生に聞いていなかった!

 

と言っていたんですね。

お話を聞くと、ペースメーカーは廃棄物に当たるからそのまま燃やしたりするのは良くないとのころで取り出すそうです。

私はそれを聞いて、

 

どうせ切るんだし、その時に処理してもらえばいんじゃないんですか?

ペースメーカーある方が勉強になるでしょ!

 

と私は言いました。

看護師さんも

 

そうですね、私もペースメーカーが入っているのは見たことないです

 

とおっしゃいました。

この看護師さんも解剖に立ち会ったことがあるのだなと、その時そう思いました。

 

この対応して下さった40代ぐらいのベテランな看護師さん。

そんなペラペラ話しそうにない雰囲気の方ですが、ポツリポツリと身内のことを話してくれました。

 

自分の祖母が亡くなった時に火葬したら、金属片みたいなのが出てきた

誰にも言わずに手術をしたみたいで、そういう手術とかを身内に言わずに黙ってする人がいるんですよー

 

と私のおばあちゃんを見ながら自分の祖母の思い出が蘇ったんでしょうかね。

少し涙声で話していました。

 

 

霊安室へ移動、そして白菊会へ出発!

病室からエレベーターへ行くとき。

おばあちゃんは亡くなっていますから他の患者さんに配慮しながら移動します。

 

エレベーターが着くと乗り込み、地下の霊安室へ。

このエレベーターは途中で止まったりしません。

地下までノンストップです。

 

霊安室へ着くと、看護師さんはお線香を焚いてくれました。

ここの病院の霊安室はキリスト教と仏教にも対応している作りでした。

 

私はここで1時間ほどずっと待っていました。

おばあちゃんと二人で。

 

怖がりの私のお友達(60代後半)は「霊安室で2人きりなんて、そんなの絶対に私はできない」と言っていました。

私は特に何も思わず、普通に過ごしていました。

 

書類も揃いました。

白菊会の関係者の方が迎えに来てくれ献体同意の確認をします。

 

看護師さんとお医者さんが整列し見守られながら、おばあちゃんの望み通りお葬式せず献体へと出発しました。

 

 

白菊会へ行ったら、数年後に帰ってきます!

献体に送り出すと、最終的に火葬され遺骨として戻ってきます。

その費用は大学病院がもってくれます。

 

それがいつ戻ってくるのかは連絡が来るまでわかりません。

 

1年で戻ってくる人もいます。

2年で戻ってくる人もいます。

私のおばあちゃんは3年かかりました。

 

取りに来てください、という連絡がくるまで進捗状況が分かりません。

1年経つ度に「今年なのかな?」と思いながら過ごします。

 

遺骨を受け取る時は合同で遺骨受け取り&お葬式(慰霊祭)をします。

医学を志し、解剖を行った学生も参列します。

年に1度の慰霊祭は決まった月にあります。

その時期が近づいてきても連絡が来ないようであれば来年なんですね。

 

やきもきする遺族の方がいるかもしれません。

私は「今年は連絡ないから来年だなー。おばあちゃんが長い人は3年かかるって言ってたなー。」と呑気に待っていました。

 

さて、3年待った私のところにも白菊会から連絡がきました。

次のお話は私が遺骨を受け取りに行くお話をします!

 

 

まとめ

私のおばあちゃんは「しずかちゃん、おばあちゃんが死んだらすぐに白菊会へ連絡してね。お葬式は要らないよ」としか聞いていませんでした。

私はたまたま大学病院の勤務が長かった先生に伝えることができました。

(おばあちゃんは大学病院で亡くなっていません)

そしてすぐに病院から白菊会へ搬送されました。

 

献体は48時間以内に搬送しないといけない、というのは今日知りました。

 

普通はお通夜やお葬式をして送り出す方が多いようです。

白菊会の方がそう言っていたそうです。

本当にそうなのかどうかは献体ご家族の知り合いがいないので私は正直知りません。

 

もし、ご本人が亡くなって、どうしてもご家族が故人を献体に送り出したくないのであれば断るのも良いのではないのかなと私は思っています。

その時も、どっちにしろ白菊会へ連絡をしておいた方がいいと思います。

 

白菊会の合同慰霊祭はこちらに書いています。

白菊会から連絡があり、合同慰霊祭に参加しました!献体PART2
白菊会から連絡があり、合同慰霊祭に参加しました! おばあちゃんを見送って3年後、白菊会の方から連絡がありました。 私のおばあちゃんは返ってくるのが遅くて3年かかりました。 献体へ行った時のことはこちらに書いています。 慰霊祭当日 喪服を着て...

コメント