命を諦めるということ:医療現場の覚悟と家族の決断

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命を諦めるということ:医療現場の覚悟と家族の決断

1. 阪神淡路大震災とトリアージの覚悟

1995年、阪神淡路大震災。震源となった淡路島の病院では、重症患者が次々と運ばれる中、外科部長の松田昌三医師(故人)が「助けられる人を助けないと。助からない人はあきらめな」と蘇生中止を指示しました。

トリアージが普及していなかった当時、松田医師は命を選ぶという究極の決断を迫られました。

その覚悟と葛藤は、その時の医療現場の厳しさを物語っています。

 

2. 私の体験:おばあちゃんとの引き際

私自身も、家族として命の引き際を感じた経験があります。

おばあちゃんが入院中、看護師さんから「堪えられない話かもしれないから2人で来てください」と電話を受けました。

私は一人で病院に行き、医師から「おしっこが出ていないため、1週間以内に亡くなる可能性が高い」と告げられました。

その時、私は即決で「回復する見込みがあるなら治療をしてほしい。でも、もうおしっこも出ないし、血中のカビが増加しているなら治療は一切しなくていい」と伝えました。

医師も「そうですよね」と同意してくれました。

この経験を通じて、家族として命の引き際を受け入れる覚悟を感じました。

 

3. 医療現場の覚悟と家族の決断

医療現場では、命を救うための努力が続けられる一方で、時には「諦める」という選択が求められることがあります。

これは医療従事者にとっても家族にとっても非常に辛い決断です。

しかし、限られた資源や状況の中で、冷静な判断が必要とされるのです。

 

4. 命を選ぶ覚悟を支えるもの

松田医師のように、医療現場で命を選ぶ覚悟を持つことは、並大抵のことではありません。

医療従事者は、患者の命を救うために冷静さを保ち、時には感情を抑える必要があります。

一方で、家族としても、命の引き際を受け入れる覚悟が求められることがあります。

 

一緒にいれるのなら、本当は一緒にいたい。

でも、それは無理だ。

 

動画を見た人のコメント

やめなさい。諦めなさい。 助かる命のために。 なんて覚悟をもった言葉だろう。

 

トリアージを実践するだけでなく、それを撮影するように指示した、この先生の精神力と使命感。凄まじい。

 

敢えて強い言葉で命令してる所に優しさを感じる

 

人の命を救うために医師になったのにその命を選別しなくてはいけない立場に立たされた松田医師 どれだけ苦しかっただろう。その決断に心からの敬意を表します

 

ほとんどの医師がトリアージを知らない時代に知っててそれを実践してるの凄すぎるな

 

松田先生は蘇生の中止をだしたけども、その後患者さんに優しくお布団かけてお顔をじっと見られてるところに医師としての責任と生きようとした命への敬意が込められているように思いました。